明治の初め頃と世界は?
縁合って「坂の上の雲」(1968年(昭和43年)から1972年(昭和47年)にかけ『産経新聞』に連載)を読んだ。日清日露の物がたりです。司馬遼太郎の発効後、40年のたって読んで、今さながらに驚いている自分が居ました!
日本史を学んで江戸?で終わった歴史。歴史は、常に丸暗記と決まっていやようだったが。
さて、幕末にペリーややってくる前に、対馬をロシアが占領したんだ。でその時、世界のイギリス帝国が解放してくれた。ロシアに進出をされたくなかったからだ。でも、実はロシアはクルミヤ戦争(今でもそうだか)で、極東に力を入れられなかった。ふー、助かった。
そして、この頃から日本政府は胎動を始めたようです。
しかし、ロシアの南下政策(不凍港を求めて)は、モンゴル・満州・朝鮮・日本へと。白人優越の主義の基にしてね。まー、その頃はイギリス・フランスにドイツ、そしてやや遅れてアメリカが・・・ここ極東を狙っていた。
明治維新は、その時どうしたか!
読後、愛読書の陳舜臣に「江は流れず」という日清戦争物があった。で、これを読むと「史実を基にしているようだけど、中国の資料がやたら多い」のに気が付いた。
なぜ日本は、韓国(朝鮮王国)を注視したか?それは、具体的にはどんな形で実施されたのか?。???これって、日本の立場があまり表現されていない感じ。
さて、日本の「士農工商」と違った、半島には「両班」制度(一般的に両班・中人・常人・賎人の)がり、その両班派閥が朝鮮で統一出来なかった事が大きい様な。日本では、薩長藩があったが、西欧に対応すべく一丸となった。ここに大きな違いだがある。根は李氏朝鮮時代のあり方に・・・。参考動画です。
第1話 なぜ今、日韓近現代史なのか?~昔も今も韓国は韓国【CGS 宮脇淳子】
視聴後の判断は、お任せします。ただ、事実を知ることは大切と思います。

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