18歳の万博オートバイ一人旅 1
今からおよそ、47・8年前でしょうか。16歳で原付修得で50㏄の不動をバイクを買っては、いじくり直して、二個一で乗っていました。
それから1970年に自動二輪を取って、大阪万博に一人旅です。高3最後の夏休みの事です。愛車はCP77です。これは、つい最近知ったのですが、ドリーム300 CP77はCB(M)72(250cc)を白バイ用にボアアップして305ccにしたバイクでした。
当時も251以上は車検が有り、305ccはちょっと中途半端な感じでした。
総費用は、10000円。当時のアメリカ映画の「イージーライダー」に憧れていたのでしょうか、恐れを知らないエイティーン!!!
用賀から東名に入って、静岡手前までは順調でしたが・・・。だんだんにスピードが落ちて、何だかへん。焼けた!それでも走って、掛川で降りて1号線を浜松に。しかし、エンジン不調でバイク屋に飛び込む。じゅじん曰く「オイルが回っておらず、エンジンがやけ気味」と言われ、急遽ありあわせのポンプを取り付けてもらいました。が、修理費5000円…ガーンです。その後は、バイクも順調になり、そのまま下を走って(お金が・・・)浜松を通過。
その夜は豊田市の素泊まり宿(一般の家/今で言う所の民泊)で、一泊。雑誌「モーターサイリスト」の読みすぎで、枕元に財布を隠して寝たものです。
翌日は、名古屋を過ぎて大阪環状道路で、大阪ナンバーのタクシーにあおられつつも万博会場に到着。入場したものの、人が多くだけで興味を引くものも無く、1時間足らずで紀伊半島に向かう。途中、家での青年と会って、今から郷里に帰るとのこと。何か、人生の悲哀を感じたものです。 この御坊市の民宿?に泊まっり、たちまち寝てしまった!
目が覚めると、波の音が爽やかで浜に出る。ここ御坊岬の海岸でもう一人、老人と会いました。何の話をしたかは覚えていませんが、やはり人生の悲哀を感じたのを、うっすら覚えています。青年と老人、この事はその後の自分に大きな意味があったと思っています。 だからか、今でも波の音が聞こえてきます。
南紀白浜を過ぎた頃、日は曇り出しました。快調に走っていましたが、やがて通り雨になる。結構濡れましたが、日差しが出ると良い気持ちです。そして、しばらくすると、睡魔が・・・居眠り運転です。バイクに乗っても眠れますよ!危険ですが。伊勢志摩に近づくとノロいトラックが。ここは一気に抜くしかないと、センターを超えて回り込むと、白バイにパクリ!スピードオーバーです。ここでもまた「モーターサイクリスト」のアメリカ横断の読みすぎで、免許証の下にお金を一緒に渡したら、怒られました!!!夕方には、伊勢のユースホステルに到着です(どう予約したかは忘れました)。
では、次回に
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