「コロの物語」ー挿入歌とおじさんの思い出
ネットで、「コロの物語」の挿入歌を見つけました。
ナレーションで、「連続放送劇、乾信一郎作・・・・・」と聞いて、本当にラジオで放送されたんだと、思わず実感しました。小柳徹ちゃんの歌声を聞きながら、当のおじさんを思いだしました。
学生時代にお邪魔すると、いつもおばさんが出迎えられて、ちょっとうす暗い書斎に通されたものです。その書斎のドアーには、猫のための小さな出入り口があり、猫の部屋がありました。ですから、書斎のあちこちには、猫の置物や写真(カレンダーも)などが、所狭しと書籍の間を埋め尽くしていました。
今考えると、不思議。そこには、犬の関係の物は一つも無く、犬のイの字もありませんでしたね。
乾のおじさんは、すらっと背が高く男前でした。戦後のGHQが来て、NHKの番組内容まで検閲させられ、苦労話をよく聞きました。おじさんは、英語が出来たので、日本人通訳が「いい加減な通訳説明をするので、本当に困った」と、当時を懐かしんで語ってくれたものでした。敗戦国の悲しさかな、自由に物語が書けない時代、ユーモアと言う言葉に託して、何かを語っていた筈です。
そんな会話のひと時、当時「スプラッシュ」と言うオレンジジュース?や美味しい紅茶をご馳走になり、さすが作家ともなると、飲むものも違うんだなーと思ったりしたもんです。おばさんから、「おじさんは結婚したての頃は、渋谷を方で風を切って歩いて、とてもカッコ良かったよ」、と聞いたことがあります。多分「新青年」に勤めた頃でしょうか。奥さんは、とっても綺麗な優しい方でした。
さて、わが家の「コロの物語」マンガ編の第一集が、見当たりません!!!
中学生時代から漫画家になることを決意し、新聞配達や豆腐売りの仕事をしながら漫画を描き、1952年、『さんしょのピリちゃん』で漫画家デビュー。その後、有名な『トキワ荘』に出入りするようになり手塚治虫の面識を得て、手塚のアシスタントとなった人です。
工藤市郎略歴:1922年(大正11年)徳島県生まれ。本名。号は素人(そじん)。1946年(昭和21年)中国より復員後、大阪で酒井七馬の主催するデッサン会に参加。代表作に『七色仮面』、『アラーの使者』等・・・がある。
さて猫好きのおじさんが、何で犬を主人公にした話を書いたのか・・・?ネコを主人公にした「キャンデーの冒険」もあるようですが・・・。生前、そのことを聞かなかったことが、残念でもあります。ユーモアに考えると、この物語には、ネコは似合わないですよね。
青春時代の小説、「敬天寮の君子たち」の表紙裏に「なぜ、ユーモア小説を書くのか。それは、世の中が悲しくてさびしいからにほかならない」とありました。
これは、おサカナの父、故ナマズさんがS61年に80歳の記念に撮影した一枚。。そして、「敬天寮の君子たち」4回目(S62年)の出版に用いられた写真でもあります。
晩年、意識も朦朧としていたおじさんを、お見舞いに行ったことがありました。そのとき時、おじさんはベッドに縛られ、その姿を目にして私は悲しく辛くて唖然としてしまいました!でも、近づいて「おじさん、おじさん、マーちゃんだよ」て言ったら、返事が返って来たのです。そして、ハッキリと
「自分は、誰かに必要とされていなければ、生きる意味は無い・・・」
と聞き取れました。こんな、「悲しくてさびしい」言葉が、私との最後の言葉でした。思えば、いつも会っている時に、ユーモアは聞いたことが無かった。
どこかに、この第一集がないものか、おじさんへの思い出に申し訳ない気がして・・・・。5月になったら、富士のお墓に言ってみるつもりです。勿論、おばさんもそこに眠っています。
合掌
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
最近のコメント